目黒川の桜って何故植えられるようになったんでしょうか?
都内でも有数の桜の名所として有名な目黒川ですが、今回は「何故目黒川に桜が植えられるようになったのか?」について調べてみましたので、皆様と共有したいと思います!
目黒川は、東京都世田谷区、品川区、そして目黒区を流れ東京湾に注ぐ川で、上流は世田谷区三宿で北沢川(北沢上水)と烏山川(烏山上水)に分かれ、多くの支流も注いでいます。
江戸時代には「こりとり川」と呼ばれていたそうで、こりとりは「垢離取り」の意味で、目黒不動尊に参詣に行く際、川の水で身を清めていたのがその名の由来と言われています。
戦前の目黒川は、子どもたちが水遊びをしてホタルが飛び交う清流で、川の流域が農村であった時代には、各所に水車が設けられ製粉や精米などに利用されていたそうです。
昭和30年代後半までは染物屋が目黒川で色鮮やかな友禅流しをするなど、とても庶民に愛されていた川だったことが分かりますね。
そんな目黒川沿いの桜の植樹は昭和2年に始まったとされています。
川幅が狭く、水深が浅かった目黒川は大雨が降ると川が氾濫するなどの被害が多かったことから、護岸工事が繰り替えされてきました。
大正期のはじめには治水とともに船が運航できる運河にするための工事が始まり昭和12年に運河として完成します。この工事によって曲りくねった川の流れは、現在のようにほぼ真っすぐになったとのこと。
そしてその護岸工事のたびに、地元の有志が工事の記念として桜を植えたのが、今の目黒川の桜並木を生む切っ掛けとなったそうです。
護岸工事の植え替えでは、 初代が昭和16年、二代は昭和36年、三代目は樹齢15年を昭和62年に植えたそうです。
現在では約830本ものソメイヨシノが、植えられているとのことです。
またソメイヨシノは江戸時代に染井村(現在の巣鴨)で開発された品種とのことで寿命は約70年とされています。
目黒川沿いの桜も樹齢の古い桜から順次植替えを進めて行かないと現在の様な素晴らしい桜の名所を維持できなくなってしまいます。
そのため目黒区では「目黒のサクラ基金」という寄付を受付し桜の保護や植え替えの事業に活用しています。
またただ桜を伐採して植え替えるだけではなく、伐採した桜を活用して記念品作りに取り組み一定額以上の寄付をして頂いた方に記念品を贈呈している様です。
関心のある方はこちらから詳細をご確認ください。
「目黒のサクラ基金」のサクラ寄付金
最後までお読みいただき、ありがとうございました。